「こだわり」という言葉には、どこか格好いい響きがある。
こだわりの製法、こだわりの食材、職人のこだわり。
厳選した食材にこだわって作られています、なんていかにも美味しそう。
こう聞けば、妥協を許さない職人精神や、品質への情熱を想像する人も多いだろう。
でもこれ、人間関係になると印象が違います。
「あの人は、こだわりが強いからね」
途端に褒め言葉とは限らなくなる。
私は保育・教育の現場に身を置いているが、保育世界で「こだわりが強い」という表現は、必ずしも良い意味では使われません。
気持ちを切り替えられない、必ずこうしないと気が済まない。相手や周囲の行動に納得できない。
まぁ早い話、融通が利かない。
もちろん、こだわりには様々な背景があるし、それ自体が悪いわけではない。
保育現場でいう「こだわり」は、単なる融通の利かなさだけでなく、発達特性や感覚的な苦手さなどを説明する際にも使われます。
しかし、恋愛や結婚においてはどうでしょうか。
「私は絶対にこうじゃなきゃ嫌だ」
「それだけは絶対に無理」
「昔からこういう性格だから仕方ない」
そんな言葉を聞くたびに、私は思う。
その「絶対」って、本当に絶対なの?
意地になって、今さら変えられなくなっているだけでは?とも思う。
例えば保育現場では、「こだわりの強い子」に正論で真正面からぶつかったところで大抵失敗する。
やっぱり、頭ごなしだと人は動きたくないよね。
信頼関係を築いたうえで、うまく気持ちを切り替えさせたり、別なアプローチやかかわりを促してみたり、それぞれ保育士なりの関わり方で接し、見守ったりする。
まーもちろん、子どもの発達上の特性と、大人同士の恋愛や結婚の話を同列に扱うつもりはない。ただ、相手の気持ちを考え、接し方を工夫することの大切さは共通していると思う。
誰にでも譲れないものはある。
しかし、自分にとっては大切なこだわりでも、相手からすれば「そこまで頑なになることなの?」と思われているかもしれない。
そして、そのこだわりを守るために、知らず知らずのうちに相手にばかり我慢をさせているとしたら。
今回は、恋愛や結婚における「こだわり」と「妥協」、そして「絶対に無理」という言葉について、少し厳しいことを書いてみたい。
恋愛が長続きしない人は「絶対に無理」が多すぎる?
恋愛や結婚は、育ってきた環境も価値観も違う人間同士が、一緒に過ごしていくものだ。
食べ物の好み、生活習慣、金銭感覚、愛情表現。
何もかもが一致する相手など、そう簡単には見つからないだろう。
だからこそ、どこかで相手を受け入れたり、自分が譲ったりする必要がある。
ところが、何かにつけて「絶対に無理」と言う人がいる。
「私はこういう人間だから」
「昔からそうしてきたから」
「嫌なものは嫌だから」
それ自体は、その人の考え方なのだろう。
しかし、相手にも同じように譲れないものがあったらどうなるのか。
お互いに一歩も譲らなければ、衝突するしかない。
一方だけが我慢していれば、表面上は平和に見えても、その負担は少しずつ積み重なっていく。
そして、ある日突然、別れを告げられる。
本人からすれば「なんで急に?」
突然でも、相手にとっては長い間の我慢が限界を迎えただけなのかもしれない。
もちろん、恋愛が長続きしない原因は様々だ。
しかし、自分のこだわりを守ることばかり考えて、相手が何を我慢しているのかを考えない。
そんな姿勢が、二人の関係を壊してしまうことは十分にあると思う。
これは普段のLINEでも同じことだ。自分が連絡したいからといって、相手にも同じ頻度や熱量を求めていないだろうか。
相手の負担を考えたメッセージの送り方については、こちらの記事でも紹介している。
関連記事:女性とのLINEが続かない男性へ|返信しやすいメッセージの考え方
そのこだわり、20万円もらっても譲れませんか?
例えば、ホヤが大嫌いな人がいるとしよう。
「ホヤだけは絶対に食べない!何があっても無理!」
そう言い切る人に、質問をしてみたい。
「じゃあ、ホヤを一口食べたら20万円もらえるとしたら?」
どうだろう。
少しくらい迷う人もいるのではないだろうか。
もちろん、アレルギーなどの健康上の問題がある場合は別の話だ。
それでも、20万円という条件が付いた途端に「一口くらいなら……」と考え始めるのなら、その「絶対」は案外あっさり揺らいでいる。
さらに極端な話をしよう。
仮に、どうしても嫌なことを一度我慢すれば、命に関わる病気が治るとしたらどうだろう。
現実にはそんな都合のよい話はないが、少なくとも普段と同じように「絶対に無理!」と即答できる人ばかりではないはずだ。
何が言いたいのか。
私たちが口にする「絶対」は、実はそれほど絶対ではない場合もあるということだ。
条件や状況が変われば、判断も変わる。
それは決して悪いことではない。
ただ、ここで考えてほしい。
お金がもらえるなら考える余地がある。
自分に大きな利益があるなら、嫌なことでも我慢できるかもしれない。
それなのに、大切な恋人や配偶者からお願いされた途端、「絶対に無理」の一点張り。
もちろん、恋人のためなら何でも我慢しろと言いたいわけではない。
ホヤが嫌いなら、別に食べなくてもいい。
しかし、自分の利益のためなら考え直せることを、相手の気持ちが関わる場面では最初から考えようともしない。
もしそうなら、少し自分の姿勢を振り返ってみてもよいのではないだろうか。
「本能だから仕方ない」は、相手を傷つけていい理由にならない
恋愛におけるこだわりは、食べ物だけではない。
例えば、恋人や夫婦の寝方について。
「顔を近づけて寝るのは嫌だ」
「手をつないでいたら眠れない」
「寝るときは絶対に一人がいい」
こうした好みがあること自体は、何もおかしくない。
実際、快適な睡眠環境は人それぞれ違う。
しかし、相手が寂しいと感じているなら、少しは考えてみてもよいのではないだろうか。
以前、性行為の後に男性が女性へ背中を向けて眠るのは、巣穴を外敵から守ろうとする本能によるものだ、という趣旨の説明を見かけたことがある。
その説明にどれほど科学的な根拠があるのかはさておき、私は正直、呆れてしまった。
本能だから仕方ない?
それでは、まるで本能のままに行動するチンパンジーやゴリラではないか。
いや、彼らに失礼かもしれない。
私たち人間には、相手の気持ちを想像し、話し合い、行動を工夫する能力があるはずだ。
もちろん、背中を向けて寝ることが悪いわけではない。
眠りやすい姿勢もあれば、触れられていると眠れない人だっている。
問題なのは、相手が寂しがっていると知っていながら、「本能だから」「自分はこういう人間だから」と説明して(相手に事情を説明すらしていないケースもある)、それ以上考えることをやめてしまう姿勢だ。
例えば、眠る前の10分だけ手をつなぐ。
少し抱き合ってから、それぞれ楽な姿勢で眠る。
そんな方法だって考えられる。
必ずしも相手の希望を全部かなえる必要はない。
ただ、相手の気持ちを受け止めて、何かできることはないかと考える。
それすら放棄してしまうのなら、本能云々より先に、思いやりについて考え直した方がよいのではないだろうか。
価値観の違いで別れる前に、考えてほしいこと
恋愛や結婚で「価値観の違い」が問題になることは珍しくない。
しかし、価値観が違うことと、関係を続けられないことは同じではない。
大切なのは、その違いとどう向き合うかだと思う。
ここで誤解してほしくないのは、相手のために自分を殺す必要はないということだ。
自分ばかりが我慢している関係も、決して健全ではない。
また、暴力や人格を傷つける言動、望まない性的な行為など、無理に受け入れるべきではないこともある。
譲れないものを持つこと自体は悪くない。
しかし、恋人や配偶者から「それは嫌だ」「寂しい」「つらい」と伝えられたとき、どう対応するのか。
私は、そこにこそ、その人の思いやりが表れると思っている。
「無理だから仕方ない」で終わるのか。
それとも、「どうすればお互いに納得できるだろう」と考えるのか。
たったそれだけの違いが、長い時間をかけて二人の関係に大きな差を生むのではないだろうか。
そして、歩み寄るためには、相手の話をきちんと聞くことも欠かせない。
自分の考えを押し通す前に、相手が何を感じているのかを知る。そんな信頼関係を築くための会話については、こちらの記事でも解説している。
関連記事:恋愛経験が少ない男性へ|モテる前に「信頼される会話」を身につける方法
こだわりの強さより、指摘されたときの態度に思いやりが表れる
誰にでも、譲れないものはある。
私にもあるし、これを読んでいるあなたにもあるだろう。
だから、こだわりを持つこと自体を否定するつもりはない。
しかし、自分のこだわりによって大切な人が傷ついていると知ったとき、その後の態度は考えたい。
相手の気持ちを聞く。
自分の考えを説明する。
別の方法を探してみる。
できることと、どうしてもできないことを整理する。
そうした過程を経ても、折り合いがつかないことはあるだろう。
それならば、仕方のないことかもしれない。
しかし、最初から考えることを放棄して、相手にだけ我慢を求めるのは違う。
「そこまですんの?めんどくさい」という気持ちはまぁ、わかるけれど
その話し合いやすり合わせすら面倒くさいというのなら、無理に誰かと一緒にいる必要もない。
一人の人生を選ぶのも、ありかもしれない。
「絶対に無理」
ずいぶん便利な言葉だと思う。
その一言で話し合いを終わらせ、自分は何も変わらずに済むのだから。
だが、その便利な言葉の裏側で、誰かが傷ついているかもしれない。
そして、相手が離れていったときに「価値観が合わなかった」と片付けるのは、少し都合がよすぎないだろうか。
こだわりの強さよりも、それを指摘されたときの態度に、その人の思いやりが表れる。
私はそう思う。
本当に譲れないものなら、大切にすればいい。
ただし、その「絶対」が、本当に絶対なのか。
自分を変えたくないだけではないのか。
そして何より、
あなたが守ろうとしているそのこだわりは、目の前の大切な人を傷つけてまで守る価値のあるものなのだろうか。





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